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神戸地方裁判所 昭和41年(ワ)793号 判決

原告

稲岡征

右訴訟代理人

山田一夫

細見茂

被告

春日隆男

右訴訟代理人

森茂

主文

一  被告は原告に対し金六五万三〇九〇円およびこれに対する昭和四一年七月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、金二〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

一  申立

原告は、「被告は原告に対し金一一五万三〇九〇円およびこれに対する訴状送達の翌日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、

被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。〈以下略〉

理由

一原告が被告経営の病院に入院し昭和四一年一月一〇日開腹手術を受けたこと、および同月一六日泉佐野病院へ転院したことは当事者間に争がない。

二前記争ない事実と〈証拠〉を総合すると、次の事実を認定することができる。

1  原告は昭和四〇年一二月下旬頃右下腹部に腹痛を覚えたので医師の診察を受け、その紹介で昭和四一年一月五日肩書地で春日外科病院を経営する被告の診断を受けたところ虫垂炎との疑で同月六日に被告病院に入院し血液の検査を受けた。原告の白血球数は四〇〇〇であつたが原告が腹痛を訴えるので同月一〇日柴務(当時インターン中)を助手として被告の執刀で開腹手術を受け虫垂を切除した。同手術中原告が一時失神状態になり血圧が下つた(カルテでは一五〇が九〇に下つたとなつているが証人柴は少しであると証言する)ので手術を一時中断し注射して回復した後続行し絹糸を使つて切端を終紮し手術を終了した。

2  原告は手術の翌日である一一日から気分がすぐれず昼頃には水気のものを飲むと吐気がし夜になると次第にひどくなり薬を飲んでも吐いて了う状況となりその夜は吐気と腹痛のため殆んど眠れなかつた。一二日朝には原告に付添つていた原告の妻由紀子が回診に来た被告病院の大内医師に小便が出ないと訴えたところ立ちなさいと言われ原告を抱えるようにしたところ、原告が倒れたが同医師は神経質のためであると述べただけで同夜には下痢も加わりいわゆる垂れ流しの状態となり、原告の妻が被告看護婦に右症状を訴えたが神経質だからということで応じられず、一三日には右症状が激しくなり原告は体力を失いぐつたりした。同日右手術の傷跡付近には赤色の斑点が出ていたが大内医師は消毒した赤チンのかぶれだといつていた。一四・一五日には斑点も大きくなり前記症状も激しくなつたが、被告病院では診療にあたつた医師、看護婦は右症状に応じた適切な措置をとらず一六日にはいよいよ症状も重くなり白目がちの目となりうわ言を言い始めたので、原告の妻は原告の姉婿の医師小山道一を電話で呼寄せた。同医師は右手術の傷跡の斑点および腹部が全体に膨満していることから腹膜炎でないかと指摘し、被告も原告を診察し翌日再開腹手術をすることにしその旨家族に告げた。

3  しかし原告の家族の方では従来の診療の経緯からして被告を信用することができず同日夜七時頃原告を救急自動車に乗せて小山医師の勤務する大阪府下の泉佐野市民病院へ運んだが途中で鼻血が出て喉につまり苦しんだので付添つていた小山医師が強心剤を注射し同日午後一〇時頃同病院到着後直ちに輸血を行い翌一七日も酸素吸入・点滴・輸血等をした。そのため同日午前三時三〇分には鼻出血少量あつたのが同日午後四時過ぎから気分が好転し始め、八時頃から会話するようになつた。同日は種々の検査(白血球数一万三五〇〇、血液出血時間八分以上凝固(開)一二分(完)二八分三〇秒、黄だん(赤血球が腹腔内で滾れたことを示す))をし身体の改善に努めた後、一八日手術を行つたが傷跡には一〇円硬貨大の変色した出血斑が三つあり、切開創の一番外側の糸をとるとかなり古い凝血塊が出てきた。大腸菌感染臭を伴う陳旧な八〇〇ccの血液を吸引後手術創を拡大したところ膿苔が腸の表面に付着し回腸部には膿瘍窩を形成していた。虫垂切断部は開口し虫垂の根本まで約三糎が残存していたのでこれをとり単純縫合して埋没し、ゴム管二本とガーゼタンポン一本を入れて血と膿を出すことにして閉腹した。その後同年二月中旬頃まで血膿が出たうえ同年一月二一日頃には肋膜炎を併発しそれは同年二月中旬頃に治癒したけれども小腸から盲腸にかけて腸の癒着を残した。そして同年三月三〇日退院した。しかし癒着のため右下腹部に疼痛があり二年程運動をさしひかえた。

乙第一号証中の記載、証人大内栄、同大野はるよの各証言、被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比したやすく信用するこができず、その他右認定を左右するに足る証拠はない。

三右認定事実を鑑定の結果および証人笹本由幸の証言に照すと、手術後間もなくから出血が起り右出血と中垂切断端からの汚染とによる腹膜炎を併発したこと、ダグラス窩に膿が貯留していたことは下痢失禁などのダグラス窩の刺戟症状からも窺われ、回盲部からダグラス窩にわたつた限局性腹膜炎であること、出血の原因は虫垂動脈ないしは虫垂間膜からの出血であるが経過中に鼻出血があつた事実から出血性素因の関与も否定できないこと、そして右出血は数百立方糎で自然止血していたこと、腹膣内出血は術前に発見の困難な出血素因によるものでない限り必ずしも不可避であつたとはいえないこと、被告病院では術後経過を正しく評価するための患者の体温、脈拍、呼吸、血圧、疼痛、排気、排尿状態の観察分析も不充分で術後の腹腔内出血を見逃し、腹膜炎を早期に疑うことができなかつたことが認められる。

被告は原告の出血性素因を強調し、前記泉佐野病院での出血時間、凝固時間よりして原告にその素因があると主張するが、前記鑑定の結果は出血性素因の関与も否定できないという止まり、かつ右出血時間、凝固時間は術前に発見困難なものではない(被告が右出血時間、凝固時間を調べた形跡はない)から、右主張は前記認定を左右するものでない。

ところで原告が本件手術を受けたのは被告との間の診療契約によるものであり、右事実によると、手術中血圧が低下し手術を一時中断しなければならなかつたことが術者に心理的影響を与えたことがあるとしても、被告は腹腔内出血につき過失がなかつたものということはできず、また腹膜炎を早期に発見しなかつたことにつき過失があつたものということができる。

そうすると原告が転医したのは当然の措置であり、泉佐野病院での治療も被告の債務不履行に基づくものということができ、被告は原告に対し、その蒙つた損害を賠償すべき義務があるものといわなければならない。

(なお泉佐野病院での手術にはなんらの咎むべき点がないことは鑑定の結果によつて明らかである。)

四進んでその損害額について検討する。

1  〈証拠〉によると、(1)被告病院から泉佐野病院へ転院のための自動車代金八〇〇〇円、(2)泉佐野病院での病室料金三万七九三〇円、(3)輸血料金六九六〇円、(4)初診料金二〇〇円合計金五万三〇九〇円を支払つたこと、原告は被告に対し損害賠償につき折衝を重ねたが被告が応じないので本訴を提起するの止むなきに至つたが弁護士に着手金として金一〇万円を支払つたことが認められる。そして右着手金は本件訴訟の困難さからみて妥当である。

2  原告が被告の過失によつて長期間入院を余儀なくされた苦痛を慰藉すべき額は、前認定のように腹膜炎となつて泉佐野病院へ転院を止むなくし約二ケ月半入院していたこと、証人稲岡由起子の証言、原告本人尋問の結果によつて認められる。原告の当時の職業、地位等諸般の事情を考慮すると、金五〇万円と算定するを相当とする。

五よつて原告の請求を右認定の金額とこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四一年七月二五日から完済まで年五分の割合による遅延損害金との支払を求める範囲内で正当として認容し、その余は失当として棄却し、民事訴訟法九二条・一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(村瀬泰三 糟谷邦彦 宗宮英俊)

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